山で迷子になったときの話

何年か前に山で迷子になったことがある。あのまま帰れなかったら「遭難」ってことになるんだろうな。帰ってこれてよかった。途中から道案内してくれた二人の男性には今も感謝している。

 

その日は思い立って普段乗りもしない路線の電車で出掛けてみることにした。その路線は水郡線といい、別名で「奥久慈清流ライン」という洒落た名が付けられている。水戸駅から水郡線に乗り北を目指す。いつか高校生の頃の担任が水郡線に乗ったときの感動を語っていたことを思い出す。「次々と木漏れ日をくぐり抜けていく。車窓から見た久慈川が美しかった」確かそんなことを言っていた気がする。どんなものかと窓に近い席に座ったが、どうも背もたれが直角に近過ぎて落ち着かない。楽しみに買っておいた缶ビールを少しずつ飲みながら車窓を眺めたが、その日は曇りだった。

1時間くらいかけて矢祭山駅という駅に降りる。名前のとおり、駅を降りてすぐに矢祭山があり、渓流を挟んだ向かい側には桧山という山がある。どちら側にも吊橋を渡って行き来することができ、ちょっとした観光地だ。自然豊かな山間の風景の中、昔ながらといった感じの土産屋が数件並んでいる。

早速吊橋を渡り桧山という山の方に行ってみた。桧山は標高の高い山ではない。案内図を見てみるとハイキングコースやキャンプ場が整備されており、散歩にはもってこいだと思った。ひとり山を登り始めると得も言えぬ開放感を感じた。気ままに山道を歩くことは何て自由なんだろう。案内図の写真を撮っておいたのでそれを頼りに山頂を目指す。木の枝を杖代わりにして、気分はもはや旅人だ。

途中、二人の男性を見掛けた。彼らもハイキングに来たのだろうか。気配から察するに、この時この山に入っているのは、私も含めてその三人だけのようだった。

ようやく山頂に到着した。最初こそ気楽に登れていたものの、途中から落ち葉で足元が悪くなったり、傾斜が急になったりで疲労感が募っていた。山頂からの景色はなかなかのものだった。傾き始めた陽が雲の陰を抜けて辺りの山々を照らしていた。しばらく景色を眺めていると例の二人も山頂までやって来た。やはりこの山、なかなか疲れる山らしく二人は互いを労い合っている。「分かるよ。俺も無表情でなんてことない顔してるけど、実際今すごく疲れてるよ」なんて心の中で思いながら「こんにちわ」と手短に挨拶をして先に下山することにした。

来た道を戻っているとき、異変に気が付いた。いつの間にか見覚えの無い道を歩いていたのだ。どこか曲がるべきところを曲がらなかったのだろうか、一瞬不安が過ぎったが歩いてればすぐに入り口に着くだろうと思いそのまま進むことにした。そうこうするうちにどんどん山間に入っていく。途中、倒木が道を塞いでいた。横倒しになった木の幹は意外と高く乗り越えることが難しい。根元の方から周ろうにも地面が隆起しておりそこを越えるのも大変だ。なんとか乗り越えられそうなポイントを見つけて身をよじらせるも、木の枝が体を引っ掻き、痛い。ようやく倒木を乗り越えることができ、道を進むも、山間に入ったせいか急に辺りが暗くなって来た気がする。「これはやばいかも」と思って携帯を見ると、電波が微弱だ。どっと焦りが来た。

「俺、もしかして遭難しかけてる?」

来た道を戻ることにした。倒木を再び乗り越え早足で歩いていく。しばらく歩きまた気付く。「この道も見覚えがない」やばいやばい、辺りがまた一層暗くなっている。とにかく見覚えのある道を探さないとと、再度踵を返す。途中、首から下げていたはずのタオルが道に落ちていた。焦っていてタオルを落としたことにも気付かなかったんだ。もはや携帯で撮っておいた案内図も役に立たない。なにせ目印が何もないのだから。夕闇で辺りの色彩が変わってくると記憶の道と歩いている道が合致しているのか自信が無くなってくる。

「これは、本当にやっちまったかも」

途方に暮れ始めた頃、人の気配を感じた。目を見張るとさっきの二人組みの男性が歩いている。恥も外聞もかなぐり捨てて声を掛けることにした。「すいません。道に迷ってしまって。ご一緒させてくれませんか?」まさかこんなRPGの村の少女Aみたいな台詞を自分が言う日が来るとは思わなかった。二人は「あ、さっき歩いてた方ですね。一緒に行きましょう」と気さくに応じてくれた。ありがたくて、涙が出そうになった。聞くと二人を見付けた道も本来のルートではないとのこと。せっかくだからと探索していたところ私が声を掛けて来たらしい。よかった。二人が探索してくれていて本当によかった。

二人の後を金魚の糞のようにくっつきながら下山していく。入山した頃、木の枝なんか持っちゃって颯爽と歩いていた自分を思い出し恥ずかしくなる。ちなみにその姿を見ていた二人は私のことを「山に慣れた人」だと思っていたとか。色々と泣きそうになった。そうこうしているうちにようやく人の気配がする景色が見えてきた。渡ってきた吊橋も見える。「よかった。ありがとうございました。電車で来てるので私はこれで失礼します。本当に助かりました」と礼を言い二人と別れた。

駅で時刻表を確認すると次の電車が来るまで小一時間ほどあった。駅の構内から二人がまだ辺りをウロウロしているのが見えた。「そうだ」と思い近くの土産屋で二人に礼の品を買うことにした。こういう時は飲み物が妥当だろうが、さっき自販機でジュースを買っているのを見ていたため何にするか迷った。散々物色してから二人のところへ行き「先ほどは大変お世話になりました。これよかったら食べてください」と買ったばかりのトッポを手渡した。コンマ1秒くらい「え?」という空気がよぎった。でも、すぐに返って申し訳ないと受け取ってくれた。そうか、トッポはこういう時に渡すものじゃないんだと悟りつつ、逃げるように駅へ戻った。ホームのベンチに座って黄昏の空を眺めながら私はさっきトッポと一緒に買っておいた缶ビールを飲んだ。

 

二人には本当に今も感謝しています。

その節はありがとうございました。