「人生を変える」ってどういうこと?

昨今巷に溢れている「人生が変わる」というフレーズがあまり好きではない。何で好きじゃないのか自分でも分からないので、このモヤっとした気持ちを言語化すべく少し考えてみた。

結論から言えば、人生が変わるということがどういうことなのか理解できていないから、どうもこの手の言葉には未知故の嫌悪感を覚えてしまうのかも知れない。

例えば、ある朝目覚めると見知らぬ他人の体に自我が移り変わっていた、というような君の名は的なことが起これば、それは人生が変わったと言えるだろう。ただ、私は私の体や文脈の中でしか生きられないし、明日の朝予想だにしていなかった境遇で生きていかなければならない状態になったとしても、それは「想定外」だった、それだけの話になる。だとしたら、「人生が変わる」なんてのは特別な事ではない。「想定外」なんて日常茶飯時誰にだって起きているから。

それに「人生が変わる」というのがポジティブな意味合いなのか、それともネガティブなのかも分からない。そういった価値判断もこれまで経験の中で培われるものなのだから、結局はこれまでの自身の人生という範疇からは逃れられない。

ただ、唯一、こうなれば人生が変わったと言うような出来事をあげるとするなら、私が私の親を殺した時だ。当然のこととして私の命の源泉は親だと思っているし、愛情としても、私の命の価値の担保としても親を大切に思っている。そんな親を自らの手で殺す時が来たなら、それは私の人生における観点、経験、価値観、習慣、生活、愛情、その他諸々の全てをぶち壊すような出来事だから、それは「人生が変わった」と言えるだろう。でもそんなこと絶対にしたくない。

なので、私は人生を変えたくないのだ。私にとって人生を変えることは唯々悲劇なのだ。そして、思った。私の人生は幸せなのだな、と。