墓参りにて

先日、春分の日、お彼岸ということもあり墓参りへ行った。祖父が眠る墓は地元の寺にある。決して大きな寺ではないが、境内には立派な銀杏の木があり、眼下に田園を見渡せるため、なかなか趣のある場所だ。

この寺の起源は700年も昔に遡るという。木漏れ日を眺めながら、当時の人々に思いを馳せた。どんな暮らしをして、どんなことを考えていたのだろうか。そして、当時の人々に会えたならどんな話をしようか、そんなことを考えた。

資本主義であったり、機械のことであったり、科学のことであったり伝えてみたいと思った。

 

「世界中の人々が資本主義に熱中していて、競争原理により世の中には便利が溢れ返っているんだ。更にこのゲームの勝者になれば平民の生まれでも何世代も遊んで暮らせるような大金を手に入れることができる」

「携帯電話を使えば世界中の誰とでも話すことができる。行ったことのない場所、会ったことのない人の生活や考えも知ることができる。これがあれば娘や息子が家を出ていってもいらぬ心配をする必要はない」

「この世の仕組みが分かり始めてきたんだ。これによって人間は未来が少しだけ分かるようになった。とても大きな力も手に入れた。大概の病気は治るようになったし、月にだって行けるようになった」

 

等と話してみたい気持ちになった、その束の間だった。

 

「それでお前の心は豊かになったのか?」

 

もしかしたら、自分自身の声だったのかも知れない。日頃思ってることが無意識に言葉になったのかも知れない。

 

「私たちは常に心の土壌を耕さなくてはならない。水をやらなくてはならない」

 

どこかで読んだ一節なのかも知れない。誰かから聞いた話なのかも知れない。

 

ただただ、そんな言葉が腑に落ちるような形で胸に置き去りにされていた。

 

木々が風を受けて騒めいていた。眼下には田園が広がっていた。いつもの様に階段を下った。祖母の家が見えてきた。空が青かった。きっと何万年も前から、空は青かった。