音楽の現場の匂いが好きだ

今日、ベースの弦の張替えをしている時、誤って一弦を切ってしまった。いつもならネット通販で発注しているのだが、一弦が無い状態のまま届くまで待っているのも嫌だった。しかし、一番最寄りの楽器屋までは車で片道1時間。ちょっとダルい。それならばと、隣町のレコーディングスタジオにベース弦を買えるか問い合わせてみると「ある」とのこと。やった。早速行くことにしよう。十年前、バンドを組んでいた頃よくお世話になったあのスタジオへ。

駐車場に車を止めてビルの外階段を上がっていく。「階段でタムろ禁止」のプラが懐かしい。扉を開けるとオーナーが出迎えてくれた。オーナーも懐かしい。私のことは覚えているような、そうでもないようなという感じだったけど、私ははっきりと覚えていますから!

そこから色々とお話をいただいた。今現在は宅録メインでやってますと話すと、宅録のポイントもちょびっと教えてくださったりした。私の知識があまりないので音楽談義とまではいかなかったけれど、やはり音楽の第一線で働かれている方の話を聞くのは楽しい。

これは持論なのだけれど、人類史において音楽が派生してからこれまで脈々と受継がれた音楽DNAみたいなものがあると思う。これは、私やあなたも持っているのだけれど、普段は生活や仕事の影に隠れてしまってあまり表出されない遺伝子だ。それでも、資本主義の歴史がここ数百年なのに対して、音楽の歴史は有史以前から、もしかすると30万年以上前から我々は音楽と共に生きてきた可能性もある。お金は我々にすさまじい恩恵を与えてくれたが、一枚の紙幣よりも、ひとつの美しい旋律に胸を打たれ感動させられるのは、この音楽DNAが今もなお我々の中にあるからではないだろうか。

とりわけ、音楽を稼業として生業として生活されてる方々はこのDNAが色濃く残っている方のように感じられる。そんな方と話をしていると、自分の中の音楽DNAも感化される。つまるところ「音楽やりてー!」って気持ちになるのだ。

話が逸れてしまったが、久しぶりにスタジオに足を運んで良かったなと思う。なんで自分が音楽をやろうと思ったのか思い出された。音楽で腹は膨れないが音楽は生活に彩りを与えてくれる。そして我々はそんな彩りがないと生きていられない生き物なのだ。